新規サイト001

ゆうゆう115号

2019年 11月  9日発行

1.古地図で見る新宿区D  〜落ち合うところ〜

2.第15回新宿ライフケアセンター運動会を開催しました!

3.ケアセンターあれこれ

4.編集後記

 日ごろな一枚

      

運動会の『魚釣り』で使った、色とりどりの魚たち。全部で90匹います。

何とこれ、動き(泳ぎ?)ます。

詳しくは6ページからの報告記事で!

1.古地図で見る新宿区D 〜落ち合うところ〜)

 瀬を早み岩にせかるる滝川の……百人一首の名歌を思い出すような、慌ただしく流れ去る年の瀬がやってまいりました。忙しい家事や仕事の一休みとか、楽しい休暇の細やかな勉強等にも古地図に目を凝らして見ましょうか。

    

 そんなわけで今回取り上げる地区は新宿区の北西、落合です。どういうわけかと言うと、落合とは読んで字の如く『川と川の落ち合うところ』という意味なんです。むかしむかし、川とは生活や農業だけでなく、物資の輸送などにも関わる重要な拠点でした。反面、痛ましい10月の台風19号のように被災の危険性をも孕んでいますが、それでも人々はこの土地を選び、落合には古代の遺跡が多く発見されています。今、現代の地図(地図@)を見ますと、かぐや姫に歌われた神田川に杉並区から延びる妙正寺川が流れているのがわかりますでしょうか? 今では妙正寺川の流路が変わり暗渠(あんきょ、地下に作られた水路)に入ってわかりにくいですが、それでも二つの川は落合1丁目で合流しています。しかし、だから落合なのかと言うと少し話が変わってきます。

 実は3畳一間の下宿があったより前、江戸時代より前に神田川という川はありませんでした。一方、落合は少なくとも戦国時代から落合と呼ばれていたのです。永禄2年(1559年)の『北条家所領役帳』と言って、戦国大名の後北条家の一族郎党の給料や領地が書かれた書物の中に落合の名があるのです。どういうことなのか、今日は少し趣向を変えて川に焦点を当てて話をしていきましょう。家康が江戸にやってきて「ここを天下の都にしてやろう」と思った時、飲み水の問題は一大事でした。物資の大量輸送に水上交通を期待して海の側を選んだ結果、地下水の質が悪い土地に十数万人が住むことになったのです。井戸を掘っても塩水や泥水が出てくることが多かったんですね。そこで水道が必要になり、神田上水を初めとした六上水が順次作られ、江戸の人々の喉はようやく潤されました。この神田上水が現在の神田川であるのですが、平川と呼ばれる大きな川を元に、井の頭池・妙正寺川・善福寺川の水を引き入れ、下流で隅田川に合流する形で成立しました。だから、戦国時代以前の落合にはまた別の川が合流していたはずなのです。このことについて、例えば江戸時代後半の『新編武蔵風土記稿』という歴史書では既に神田上水開削以前から落合の地名があることを認識しており、「この地には井の頭池を水源とする川が以前から流れていたようだ」としています。またその少し後の『江戸名所図会』によれば落合の由来について、「近くで井の頭池の川の下流(=神田上水)と玉川(上水)が合流するから」という説を紹介しながら、注釈で「その前から落合と呼ばれる史料があるのでそれはおかしい」とツッコミを入れています。こんな感じで、落合で初めに落ち合っていた川のことは残念ながら名前も残っておりません。

          

 江戸後半、落合付近の神田上水の様子が地図Aです。寛政3年(1791年)に『上水記』という玉川・神田上水について幕府がまとめた資料の絵図で、地図@とAとで二つの川の大勢は変わらないことが読み取れます。ここで、合流地点付近に色々書いてあるところを見てください。流麗なくずし字を読み解くと【1】「是より下落合村持場/下高田村境迄八百壱間」、【2】「是より上落合村持場三百五拾三間」とあります。この上下二つの農村は概ね現在の町名の上落合・下落合+中落合に対応していて、妙正寺川を挟んでそれぞれ南側が上、北側が下です。持場というのは、上水のゴミ掃除・その傍の草刈りの担当分のことです。上水の目的はなんと言っても飲み水で、その為の水質保全は重大な課題。ですが幕府はその管理コストを農民に丸投げしました。特に草刈りは隔年で行われ、しかも「刈った草が肥料になるから」と草代に税金まで支払わされる悪夢のような無償労働でした。下落合村など八〇一間(約1444キロメートル)とあるので、働ける村人が百人いたとしてもゾッとしますね。キツい負担の一方で、持場のある村には一応メリットもありました。神田上水の本流から幾つか水が引かれています。【3】「高田村用水」【4】「戸塚村用水」等とあるように持場村の者達は無料で神田上水から用水を利用することができたのです。とはいえ、実はこれにも裏があって、『上水記』では神田上水の成立以前からこの辺りの村落に井の頭池を水源とする用水があったとし、それが上水に利用されたことが暗に示唆されています。元々自分たちの物だったのに、大改造されて見ず知らずの武士や町人達の為に必死で綺麗にしないといけないのだから農民の辛さがしのばれます。ところで、神田上水には両落合村の用水が見えません。落合の古地図で見てみましょうか。

      

      

 地図B、Cは前回までご紹介してきた地図に比べ、大分アットホームな印象を受けます。これらは多摩郡中野村(現中野区中央周辺)の名主を代々勤めた堀江家に伝えられてきた絵図で、江戸時代末期のものです。正確さには欠けるでしょうが、街角の観光案内みたいで親しみやすさがありますね。地図Bの上落合村はちょうど地図Aから西にスライドしたような状態で、当時は北川や井草川(井草村、現在の下井草の南辺りから流れてくる為)と呼ばれた妙正寺川から用水が引かれ村中の田に広がっています。地図Cの下落合村も井草川の傍に田を作りその水を利用していました。全体として、上落合村には田や農家が多い一方で、下落合村では山林が多いことが認められます。西側に御立場とある辺りは現代の地図@ではおとめ山公園の西に当たります。御立場とは将軍が鷹狩の際にいる所で、おとめ山は御留山と書き、その意味は「一般人立入禁止の山」。つまり御留山は将軍家の狩猟地で、きっと下落合村の村民もそこまで農地開発ができなかったんでしょう。二つの地図から落合を概観しますと、水資源や自然が豊かな土地だったことがわかります。そのイメージは明治以降になっても受け継がれ、戦後荒れ果てたおとめ山に公務員用の共同住宅建設の話が持ち上がりますが、住民の強い要望により公園として整備され、現在まで残されています。

 ゆく河の流れは絶えずして……と言いますが、古地図や歴史書をめくっていると、地名が案外変わらない一方で川や道などの変化の目まぐるしさに驚かされることがよくあります。川も時もあっという間に流れてどこに行ったかわからなくなってしまうものですが、冒頭で挙げた「瀬を早み」の短歌はこう続きます。われても末に逢はむとぞ思ふ……みな様、来年も元気でお逢いしましょう!                                                       (今井 徹)

地図@ 白地図専門店(https://www.freemap.jp/)の白地図を基に作成

地図A 『上水記』巻6、12頁、国立公文書館デジタルアーカイブ                       https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000032134&ID=M2010021620320047015&TYPE=&NO=

地図B「上落合村絵図」・地図C「下落合村絵図」                               (東京都新宿区教育委員会編『地図で見る新宿区の移り変わり―戸塚・落合編―』、人文社、70−71、72−73頁)


このページのトップへ

2.第15回新宿ライフケアセンター運動会を開催しました!                     2019.11.23(祝)  戸山サンライズ体育館

             

第15回 ケアセンター運動会を振り返って 

 メールマガジンを担当しているケアスタッフの中島です。いつもメルマガを読んで頂き、ありがとうございます。運動会についてはメルマガでも書きましたが、それだけでは伝えきれない熱い戦いばかりでしたので、私なりの視点で運動会当日の様子を振り返ってみたいと思います。当日参加された方はあの熱戦を思い出して頂き、あいにく参加できなかった方はぜひ来年は参加したいと思って頂けたら有難いです。

 雨男ならぬ嵐男の私のせいで、当日は雨風ともに強い悪天候の中での開催となりました。ケアセンターのイベントと雨が重なる日は必ずといっていいほど私が参加している時のように感じます。本当にいつもいつも申し訳ない限りです。今年話題になった某邦画のように「今から晴れるよ!」と一度で良いから言ってみたいものです。

 さて、当日の準備の話に移ります。ここ数年は運動会の開始直前からの参加のため、当日の会場設営は久しぶりでした。特に万国旗の取り付けはおそらく、初めて運動会に参加した11年? ぶりで懐かしさを感じながら、職員のAくんと一緒に準備していました。

 参加したことのある方はご存じだと思いますが、ケアセンターの運動会は、利用者とケアスタッフあわせて5名程度でチームを構成し、そのチーム対抗で種目毎に競争を行います。種目によって、幾つかのチームが合同になり、紅組と白組の2グループに分かれ、紅白対抗で争うこともあります。今回、私は利用者Bさん率いる青チーム(白組)のメンバーになりました。Bさんのチームに所属したのは数年ぶりで、前回は優勝できなかったため、今年こそ優勝と意気込んでいました。

 運動会開始の合図は、毎年恒例の畑山理事長の開会宣言です。いつも、ここから身が引き締まります。続いては準備運動です。今年は例年より念入りに行いました。(理由は続いて説明する第一種目のためです。)

               

 第1種目は個人戦の徒競走です。『中島プレゼンツ徒競走』という名前の通り、今年は私の意見で、なんと車いすを使用せず〈ただ走る〉種目を採用頂きました。全ての始まりは数か月前に遡ります。職員の人たちと雑談していたときに、学生の頃は走ることが得意だったと私が自負しまくっていたことがきっかけでした。まさかケアセンターの運動会で、車いす関係なく走る機会を本当に貰えるとは・・・。私の結果は見るも無残でしたが、勇敢にも当日参加してくれた皆様、ありがとうございました。そして、圧倒的な走力で勝ったCくん、おめでとうございます。私がもう少し痩せたら、ぜひ再戦のお願いに栃木まで伺います。

     

 第2種目はチーム対抗『魚釣り』です。今年の競技の中で最大のサプライズはこの魚釣りでした。なんと魚の人形が自動で動きます! 魚の人形の中にモータと電池を入れて、モータが回転するときの振動で魚が動く仕組みになっています。90匹の魚が一斉に動いている様子は爽快でした。この動く魚の製作では、私自身アイデアを出すだけ出して、一番大変な準備を手伝えず、お手伝い頂いた皆さんにたくさんのご迷惑をお掛けしました。来年頑張ります! この動く魚だけでなく、大きさ500円玉サイズのため釣り上げる際に凄い集中力が必要な極小の魚も混じっていて、例年より難易度が上がっていたにも関わらず、いずれのチームも多くの魚を釣り上げていました。結果は白チームが勝利を収めました。全チームが一堂に会して、魚を必死に釣り上げる後ろ姿は釣り堀の光景そのものでしたよ。

 第3種目はチーム対抗『カローリング』です。例年、白熱した戦いが多いカローリングですが、今年も盛り上がりました。私自身もひそかに勝利を狙っていましたが、惜しくも決勝で敗れてしまいました。残念。見事勝利したのは私の隣で自信がないと直前まで話していながらも、スタート時にはしっかり集中して投げていた小学生の女の子(利用者Dさん率いる白チーム所属)でした! 毎年、どんどん上手になっている気がします。ほんと凄い。

 第4種目は紅白対抗『障害物リレー』です。今年のコースも昨年から幾つか進化していましたが、目玉はなんといっても、〈ボール衝突ゾーン〉でしょう。大量のスズランテープで周りが囲われた空間の上から幾つかボールがぶら下がり、そのボールを避けながら、あるいはぶつかりながら進むコースです。外から見ると、テープがぎっしり重なっていて、そのテープの中に突入するまで、何個ボールがあるのか、どこにボールがぶら下がっているのか、一切わかりません。

      

なんと恐ろしいゾーンができたものかと驚きました。しかし、実際に競技が始まると、ゾーンを通過した人は一瞬で変わる目の前の光景とボールに触れる感覚が新鮮でとても楽しそうでした! 肝心の結果ですが、序盤は白組がリードする展開ながらも、終盤紅組の猛烈な追い上げがあり、アンカー対決までもつれる大接戦でした! 最後は写真判定が必要なほどの僅差の結果、紅組の勝利。過去一番の接戦だったのではないでしょうか。

 休憩をはさんで、第5種目はチーム対抗『バルーンGOGO』です。私が在籍する青チームはここまで勝利がありません。なんとか一種目でも勝利してメダル(各種目で勝利すると鍵チョコのメダルが貰えます!)をゲットしたい私たちは競技の前から必死に作戦会議。「最初に〜さんがタッチして、次は〜さんがタッチ、最後は〜さんシュートで行きましょう」と綿密な戦略と気合十分でスタートしたものの、わずか数秒でバルーンが地面に落下し、あえなく敗戦。策士策に溺れるとはこのことですね。勝利したのは、利用者Eさん率いるピンクチーム。ラグビー日本代表のONE TEAMのごとく華麗な連携で、宿敵の白チームから勝利を奪いました。見事!

         

 第6種目は紅白対抗『玉入れ』です。残す種目は後二つとなり、勝利のない私たち青チームは、優勝ではなく、メダルの獲得という現実的な目標へ修正し、土壇場での底力を求められていました。しかし、Bさん率いる青チームにはBさん専用の発射台(紐を引っ張るとストッパーが外れ、ばねの力で台が持ち上がり、台の上に置かれた玉が打ちあがる仕組み)があります。この発射台に全てを懸けます。いざ、勝負が始まると、私たちの思いが届いたかのように、BさんとBさんのお母さんが息を合わせて発射した玉が面白いように籠に入りました。この玉入れは3回戦予定されていましたが、1、2回戦ともに白組が勝利し、私たち青チームも白組メンバーとして、念願のメダルを初ゲットすることができました。本当に嬉しかったです。

 最終種目は紅白対抗『スラロームリレー』です。最後の種目ということで、紅組、白組ともに自然と気合が入ります。両チーム熱心に走る順番を決め、いよいよ最後の戦いの火蓋が切られます。序盤は抜きつ抜かれつの攻防が繰り広げられましたが、中盤以降、徐々に紅組がリードを広げ、最終種目は紅組が制しました!

       

 以上7つの種目で全競技は終了だったのですが、ピンクチームと白チームが3つずつの勝利で並び、優勝決定戦にもつれる展開になりました。優勝決定戦は、カローリング一本勝負です。ピンクチームの代表者3名と白チームの代表者3名が同時に投げたストーンは、白チームのFさんのストーンが見事ゴールライン近くに止まり、白チームの優勝となりました。ピンクチーム、惜しかったですね。ピンクチームのGくんのストーンも悪くなかったのですが、白チームの見えないプレッシャーを感じましたかね。優勝回数歴代最多の白チームが今年も優勝を飾りました。おめでとうございます!

 今年は接戦が多く、紙一重の決着が目立ったように思います。初めて参加された方の中にはこんな本気になるのかと感じた人もいたのではないでしょうか。これがケアセンターの運動会です。利用者、ケアスタッフ、全員で競争し、チームときには紅白のグループで協力して勝利を目指し、その勝ち負けに一喜一憂する一年に一回の大イベントです。ぜひ来年は今年以上の盛り上がりになるべく、多くの皆さんの参加をお待ちしています!            (中島 康貴)

1,開会式 2,徒競走(中島プレゼンツ) 3,魚釣り 4,カローリング 5,障害物リレー

  6,休憩 7,バルーンゴーゴー 8,玉入れ 9,スラロームリレー 10,閉会式

このページのトップへ

3.ケアセンターあれこれ

7月

・運動会練習会2回

・令和元年度10月報酬改定 福祉・介護職員等特定処遇改善加算の説明会参加

・平成30年度福祉・介護職員処遇改善実績報告書提出(障害)

・平成30年度介護職員処遇改善実績報告書提出(介護保険)

8月

・運動会練習会2回

・令和元年度福祉・介護職員等特定処遇改善加算届出書提出(障害)

・令和元年度介護職員等特定処遇改善加算届出書提出(介護保険)

・ケアスタッフチームミーティング

9月

・運動会練習会2回

・流しそうめん&かき氷の会

・新宿区東京2020オリンピック・パラリンピック区民参画事業助成金交付申請書提出

・国際福祉機器展2019見学

10月

・運動会練習会3回

・令和元年度地域福祉財団中間報告書提出(工房)

・新宿区社会福祉協議会 備品整備・施設整備助成金事業報告書提出(軽量折り畳みスロープ)

11月

・運動会練習会3回

・第15回新宿ライフケアセンター運動会開催

12月

・運動会練習会2回

・クリスマスケーキの会


4.編集後記

古地図の冒頭にも出てきます百人一首。子どもの頃は、お正月にいろはがるたや百人一首をやったものでした。取った枚数を競うのは楽しかった気がしますが、いつぞやテストで上の句、下の句を暗記しなくてはならなくなってから遠ざかったような・・・。最近はアニメに映画にと、少し流行っているようですね。

年末年始たまにはやってみるかぁ〜! 

あっ、かるたがなかった!!


良いお年を。    

このページのトップへ



トップへ

戻る


Copyright (C) shinjuku-life-care-center All rights Reserved.