新規サイト001

ゆうゆう127号

2022年 2月 15日発行

1.卒業生 〜ひと言


2.32年に渡る印刷に感謝、さらば戸山工房


3.ケアセンターあれこれ

    ・訃報


4.編集後記



日ごろな一枚


             


この機関紙の印刷を長年お願いしている「戸山工房」さんです。

この度、なんと……!

詳しくは特集ページを是非お読み下さい。




1.卒業生 〜ひと言

             

 まだ大学2年生のころだったと思いますが、授業の余談でたまたま障害学のお話を聞き、自分にはわからない視点があるということに戸惑いを感じながら教室を出ると、学内の掲示板に貼ってあるライフケアセンターのチラシが目に入りました。そこに障害者の介助スタッフ募集という文言を見つけ、自分の知らない世界を知りたい、自分の視野を広げたいという今から考えるとずいぶん身勝手な衝動で事務所に問い合わせたのが私とケアセンターとの出会いです。

 それから今まで、おつかいや掃除のケアを中心として月に1〜2回ほどAさんのお宅に伺ってきました。Aさんの車いす生活に触れたことで、当初考えていたような新しい視点を学ばせていただく機会は数多くありました。しかしそれよりもはるかに大きな実感としてあるのは、年長者であるAさんの生活や私に向けられるやさしさから、Aさんがこれまで、私よりもはるかに多くのことを経験されてきたであろうことが時折想像されることでした。それは障害の有無による違いとはどこか別の次元で、これまで継続してAさんとお会いするなかでいつも自然に考えさせられることでした。


 あたりまえのことですが、障害の有無や年齢にかかわらず全ての人が、その人しか経験していない自分の歴史を持っていて、私の経験したことを他人が経験することも、他人の経験を私がすることもできません。そして、そうした個々人の深い歴史は日ごろ見過ごされて、社会が目の前をどんどん進んで行くように感じます。しかしAさんのお宅に入ると、そうした社会のシステムやスピードが私の目の前でいったん緩むような気がしていました。結局他人のほとんどの部分は私にとってわからないこととして残るのかもしれませんが、Aさんのところへ通う楽しさの内に、それがまた素晴らしいことなのではないかと感じられました。

                    

 私は今年で大学を卒業するので、これまでとは違った生活を送ることになりますが、ここでの縁を大切にして、イベント等でまた皆様とお会いできればと思います。

このページのトップへ




2.32年に渡る印刷に感謝、さらば戸山工房

 新宿ライフケアセンターの機関紙が創刊されたのは、1990年。発足より3年目を迎え、

利用者のケアや事務仕事で手一杯の日々を送る中、「機関紙を作ろう!」と言い出した

のは、当時新米職員だった岸本譲太氏でした。周囲はあまり気乗りせず、彼が新米の勢い

で言い出さなければ、現在の機関紙「生活交差点ゆうゆう」は誕生していなかったでしょう。

 そんな歴史的背景を踏まえ、今回のある大きな出来事について、今は元職員となった

岸本氏に報告してもらうことにしました。

                


心温まる最終号に寄せて       岸本 譲太

               (元新宿ライフケアセンター職員・1990年? 97年機関紙担当)



 生活交差点ゆうゆう、ついに今回をもって最終号となります。

 え?

 と思われた方、すいません。

 今回をもって、戸山工房さんの印刷によって発行される号が最後、というお知らせです。

 おいおい、むだに驚かせるなよ、とのそしりは甘んじて受けますが、でもみなさんには、本当に驚いていただきたかったのです。

 なぜなら、戸山工房さんはなんとこの三〇余年にわたり、一度も休むことなく、毎号ゆうゆうを刷り続けてきてくださったからです。

 三〇年前はこの世に生まれ落ちていなかったよ、という方も少なからずいることでしょう。私はといえば、とっくに生まれ落ちていて、ついでに第一志望の大学にも落ちて、戸山近辺の大学に通っていました。

 バブル、オヤジギャル、といった言葉を聞いたことがありますか。九〇年代前半を代表する社会現象ですが、もはや遠い過去のことですね。

 では、なんじゃもんじゃクラブ、車イスボーリングは、耳にしたことがありますか。

 知っているよ、と答えた方。ケアセンター検定一級の称号を差し上げます(むろん、私にそんな権限は一ミリもありませんが)。

 知らないというあなた、それがふつうです。しかし、その当時、この二つの言葉は、ケアセンターではよく飛び交っていました。関心のある方は、ぜひ、阿部さん、鳥居さんをつかまえて、質問攻めにしてください。聞き方さえ間違えなければ、その熱意に惚れ込んで、ケアセンター検定二級相当のご褒美がもらえるかもしれません。

 いずれにしても、三〇余年という歳月は、長きにわたる時間の積み重ねの結果です。この間、便利な編集ソフトが次々と現れ、印刷技術のIT化も進みましたが、ゆうゆうは版下という古風な技術と、戸山工房さんの手による印刷を一度も変えることなく、今号まで至りました。

 ただガンコなだけじゃないの、とのご指摘には、あながち否定をいたしません。しかし、それよりもはるかに大切なのは、ケアセンターの人と人のつながりを大切にする、一本筋の通ったあり方だと私は常々思っています。

 私などは、メモは数年前から手帳ではなくスマホで取るし、人間関係も継続せず、更新してしまう薄情なタイプなので、このケアセンターの温かさには、いつもガツンと学ばせていただいています。

 そして、そのケアセンターの想いに応えて続けてきた戸山工房さんの心意気にも本当に頭が下がる思いです。今時、データではなく、厚紙で出来た版下によって原稿が持ち込まれることなど、ちまたでオヤジギャルという言葉に遭遇する以上に、まれなことだと思います。

 利益と効率だけを考えていたら、こんなにも長い間、個別の声に応え続けることはできません。戸山工房さんの、人と人のつながりを大切にする温かい心に、あらためて感謝申し上げます。

 今後はお住いのある練馬の地にて、印刷業を継続されると伺っています。みなさまお元気で、これからも心温かいお仕事を末長く続けられることを、願ってやみません。


 必要は発明の母、という言葉があるそうです。今回のことによって変化が必要とされるゆうゆうが、鮮やかな変貌を遂げることを、読者みなさんは今から心待ちにしておきましょう。

 が、よく言えばガンコであっても、悪く言えば石頭にたとえられることも。適度な期待をもって、これからのゆうゆうを温かく見守っていただければと思います。

 戸山工房のみなさま、三〇余年の間、本当に、ありがとうございました。

このページのトップへ


3.ケアセンターあれこれ


2021年7月


・日本財団PCR検査センター唾液PCR検査受検開始(週1回毎週継続)


8月


・公益財団法人JKA2021年度緊急的な対応を必要とする事業

                       (新型コロナウイルス感染症の拡大防止策)申請


9月


・運動会練習会1回


10月


・令和3年度地域福祉振興事業助成金中間報告書提出(工房)

・令和3年度新宿区障害者福祉活動事業助成金中間報告書提出(機関紙)

・運動会練習会1回


11月


・運動会練習会3回

・第17回新宿ライフケアセンターミニミニ運動会開催


12月


・令和2年度東京都新型コロナウイルス感染症緊急包括支援事業(障害分)

                   消費税及び地方消費税に係る仕入控除税額報告書提出

・令和2年度東京都新型コロナウイルス感染症緊急包括支援事業(介護分)

                  消費税及び 地方消費税に係る仕入控除税額報告書提出



2022年1月


・令和3年度第2回新宿区介護サービス事業所等への集団指導出席(書面開催)

・令和3年度第2回新宿区障害者福祉サービス事業者等集団指導出席(オンライン開催)

・新宿区指定介護予防・生活支援サービス事業所の指定更新申請書提出



「車いすをつかってあそぼう!」開催中止のお知らせ

 地域の子どもたちを対象に早稲田小学校で開催しているイベント「車いすをつかってあそぼう!」は、今年度も開催見送りとなりました。2年続けて実施することができず大変残念ですが、開催の折にはまたぜひご協力下さい。





【訃報】

 利用会員の島袋美智子さん(享年88歳)が、去る1月15日にご逝去なさいました。25年以上もの長い間、ケアに慣れない学生スタッフをはじめ、たくさんのケアスタッフをいつも快く迎え入れて下さいました。

 車いすダンスの活動に参加し「くるくる回されて目が回っちゃう」と笑っていたこと、日頃は小食なのに大好きなお寿司はペロリと召し上がっていたこと、デパートに行けば車いすの前にも後ろにも買い物袋で一杯になりつつも、楽しそうな笑顔をされていたこと、ものづくりの活動では「あんなものがあったら便利」と一緒にアイデアを考えたこと・・・。思い出は尽きません。

 ケアスタッフのメッセージとともに、感謝の気持ちを込めて、心よりご冥福をお祈りいたします。



窪田(旧姓) 美春

 美智子さんのご逝去を知り、寂しい気持ちとこれまでの感謝の気持ちでいっぱいです。


 ご連絡をいただいてから、頭の中でグルグルと美智子さんのことを考えています。

私にとって、美智子さんに学生の時に出会えて、同じ時間を過ごさせていただいたことは、自分の人生に大きな意味を持たせています。

 いつもユーモアと人への感謝を忘れずに、明るく強く振る舞う美智子さんの姿は、人として本当にカッコ良くて、今も目に浮かびますし、きっとずっと忘れません。

 学生で未熟で、失敗も多かった私を、優しく受け入れてくれた美智子さんとご主人に感謝の気持ちでいっぱいです。


 ここ数年お会いできておらず、子どもを島袋邸に連れて行って美智子さんに会っていただく夢が叶わなかったのが悔しいですが、きっとどこかで微笑んで見てくれているような気がします。

 心からお悔やみ申し上げます。




平野(旧姓) 悠

 美智子さんご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。

 突然のことで、まだまだ実感がわかず、信じられない思いでいます。ケニアという遠いところにきてしまい、島袋さんご夫妻とご無沙汰してしまっているうちに、色々と少しずつ変化していたのですね。

 長年連れ添ったご主人や、ケアセンターの皆さんはじめヘルパーさんたちとも最後は会えなかったとのこと、双方のお気持ちを想像するに、言葉にはできないものがあります。でも○○区の施設で、お友達もできてワインを飲んでいた美智子さんのお姿、思い浮かべて、楽しそうだなぁとも感じました。そういった時間をもてたこと、素敵な時間だったのではないかと感じます。


 ケニアに発つ前の5月に、2週続けて(たしか、ご主人のリハビリとバッティングしてしまい、翌週にもリベンジしたのでした!)島袋邸にお邪魔してお喋りできたこと、私の結婚式の写真を見ていただいたことなど、懐かしく思い出しました。

 20歳にも満たない本当に未熟な私をケアに受け入れてくださり、かわいがってくださったこと、感謝してもしきれないです。本当にありがとうございました。

 ご主人が少し心配ですが、また状況が許せばお会いできたら嬉しいです。


 美智子さんのご冥福をお祈りいたします。




川井(旧姓) 智恵

 美智子さんが亡くなったとのこと、突然の事で大変驚いております。ご主人は気落ちされているでしょうし、体調が心配です。

 美智子さんにはお会いする度に私の方が元気をもらっていました。今も一番に浮かんでくるのはお茶目な笑顔です。

 遠くからですが、お礼の気持ちをお伝えし御冥福をお祈りしたいと思います。


このページのトップへ


4.編集後記

機関紙を作り始めた頃、なぜか不器用な奴らが集まって、ワイワイガヤガヤとやっていたのを思い出します。当時は、手書きのタイトルや挿絵、飾り枠や罫線などもどこからか持ってきて、コピーして切ったり貼ったりしていました。当然のことながら慣れない奴らが作っているので、やれ「雑に切りすぎだ!」だの「曲がって貼るな!」だの突っ込みあいながら、でもみんなちゃんとした機関紙を作ろうとやっていました。


そんなこんなで数年が経ち、版下作業も慣れてきちんとしたものが出来るようになってきた頃、戸山工房の先代のオヤジさんに「版下よく出来てるな」と言われたことがありました。やったぜという思いで、とてもうれしかったことも良い思い出です。


ゆうゆうが廃刊になるまで戸山工房さんで印刷すると思っていたので、とても残念ではありますが、大変お世話になりました。ありがとうございます。また練馬に行かれても、機会があればよろしくお願いします。

                                                           事務局一同



このページのトップへ


トップへ

戻る


Copyright (C) shinjuku-life-care-center All rights Reserved.