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 ゆうゆう108号

2018年 6月17日発行

1.漱石山房記念館 ―文豪の終の棲み家―
2.現役とOBOGによる

  ケアスタッフの勧誘活動の報告

                〜早稲田大学 新歓ビラ配り〜

3.おニートちゃんのつぶやき 晴れて卒業編


 日ごろな一枚

           


戸山ハイツに咲いていた紫陽花。

雨に濡れた紫陽花はもちろん綺麗ですが、梅雨の中休みに日差しを浴びて咲く姿も

なかなかでした。

ジメジメジトジトが続くこの季節。でも花盛りの紫陽花を見ていたら、まぁ梅雨も

悪くないか・・・、なんて思ったりして。



1.漱石山房記念館  ―文豪の終の棲み家―


 新宿ゆかりの作家と言えば、みなさんは誰の顔を思い浮かべるでしょうか? 咄嗟に言われても早々出てこなかったり、二葉亭四迷や小泉八雲にしても名前だけで顔はピンと来なかったりするのではないかと思います。でも夏目漱石ならどうでしょう。教科書や前の千円札で散々見てきたこの文豪は新宿で生まれ、新宿で最後の時を過ごしました。生誕の地は喜久井町で、早稲田南町には漱石山房と呼ばれた、彼が作家を本業にしてから没するまでの間暮らしていた家がありました。ところで、最近その漱石山房の跡地に記念館ができたことはご存知ですか? 漱石の生きた土地と人生を深く知れるところです。今回はそんなピカピカの記念館を訪ねてきたのでご紹介しようと思います。


 漱石山房記念館の最寄り駅は東西線早稲田駅。外に出たら早稲田通りを東に、八百屋が見えたらその裏の道を行きます。そこから歩きますと、道に記念館の名前とネコのシルエットのタイルが埋め込まれているのですぐわかりました。辿りついて見ると、灰色のコンクリートが角張ってカッコいい建物です。入り口の前には身障者用の駐車場もありました。

 


 


 入る前にもう少し外を見ておくと、傍には葉の大きなバショウや、棒のようなトクサなどの草木が植わっています。これらはみな漱石山房や彼の著作に関わるもので、小さな解説板に詳細が書いてありました。奥には猫塚のある漱石公園があり、入り口に見慣れた顔の胸像がどっしり構えています。猫塚というのは『吾輩は猫である』のモデルとなった猫を弔って建てたもので、石を積み上げた小さな塔のようでした。

      


 さて、中に入りましょう。記念館に入ってすぐ見えるのは導入展示と受付、ブックカフェです。導入展示ではパネルと映像で漱石の生涯を知ることができます。イギリス留学の旅程や好きな食べ物についても丁寧にまとめてあって、偉大な作家を身近に感じられました。ブックカフェには漱石の全集や関連書籍なんかが置いてあって、お茶やコーヒーを飲みながらゆったりと読書ができます。

 受付を過ぎると最初に見えるのはここの目玉、漱石山房の書斎と客間です。つまり、なんと、数々の名作が生まれた場所が丸ごと再現されているのです。丸ごとだからもちろん壁と床だけじゃありません。見上げれば屋根に瓦が葺かれ、部屋の外にはベランダ式の回廊もついて、と日本家屋が現代風デザインの記念館の中にすっぽりと収まっています。書斎の内装まで史料から徹底的に再現されていて、花柄のペルシャ絨毯、紫檀の文机、白磁の火鉢……漱石愛用の品々がところ狭しと並べられ、文豪こだわりの空間を味わえます。客間から回廊の方に出ますと、ガラス越しに外のバショウとトクサを見ることができます。これらは大先生のお気に入りで、存命だったころの本物の漱石山房にも生い茂っていたようです。


 再現展示を観終わると、順路では階段ですが、受付の近くにエレベーターがあるので車いすでも2階に上れます。2階からは漱石の作品がクローズアップされます。漱石の美しい言葉が書かれた白いパネル群を越えると、年代順にまとめられた初版本や複製原稿、そして連載小説の新聞記事が展示されていました。作家時代の漱石の身分は朝日新聞社員で、多くの名作は連載の形式で世に出されていたんですね。奥の方に行くと特設展も開かれるスペースで、取材時の通常展(3月17日から5月20日まで)では漱石山房の模型やそこに集った人々についてのテーマ展示がありました。

 夏目漱石が晩年の九年間を過ごした家は、ただ住居という以上の意味があって、漱石の門下生たちの集う場所でもあったのです。鈴木三重吉や安倍能成、有名どころでは寺田寅彦や内田百閨A芥川龍之介などもそのメンバーで、毎週木曜午後3時以降を面会時として集まっていたことで「木曜会」と名付けられました。日本文学の一翼を担ったこの集団は漱石の死後も命日の9日に集まり交流を続けたそうです。改めて一階の漱石の書斎や客間を思うと、そこに詰め活発に議論する人々や彼らを眺める漱石の暖かなまなざしが想像できます。そして、記念館の地下1階にはそうした漱石の関係者たちの著作も蔵書に含めた図書室があります。さまざまなバージョンの漱石の全集や研究書、はては児童書・漫画もある本格派で、いるだけで頭がよくなった気分になれますし、室内の本は自由に読むことができます。他にも地下1階には講座室や漱石に関するクイズコーナーがあって、これは初級でも中々の難問でした。


   


 館内の展示は見応えがあるので、少し疲れたらブックカフェで休みましょう。ここではお茶やコーヒーの他にも、漱石の愛した柿を使ったアイスクリームや、『吾輩は猫である』に出てきた「空也もなか」など、大の甘党の彼らしさが前面に出たスイーツが提供されています。舌鼓を打って、本を眺めて一休み。そうしたらまた公園に出てみるのもいいかもしれません。今の時期青々とした公園は、小さいながらもお日さまが照っていればいい気分ですし、展示物を見た後には猫塚や植えられた草木も違った見方ができるでしょう。本当に、がっちりお勉強にもちょっとした息抜きにも適した良いところでした。                             (今井 徹)



新宿区立漱石山房記念館

住  所:新宿区早稲田南町7番地

最寄り駅:東西線早稲田駅1番出口から徒歩10分

電話番号:03−3205−0209

開館時間:10:00〜18:00(ブックカフェは17:30まで)

     (漱石公園は4月〜9月…8時〜19時/10月〜3月…8時〜18時)

休 館 日:月曜日(月曜日が休日の場合は、直後の休日でない日)

     年末年始

観 覧 料:一般300円、小・中学生100円

     (障害者手帳提示の場合は本人と介助者一名無料)

設  備:車イス対応トイレ(1、2階)

     身障者用駐車場(1台)

     エレベーターあり

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2.現役とOBOGによる

  ケアスタッフの勧誘活動の報告

              〜早稲田大学 新歓ビラ配り〜


 4月1日〜3日にかけて、早稲田大学本キャンパスにて新歓ビラ配りを行いました。

 機関紙106号でお知らせしたとおり、ケアスタッフ不足の深刻な事態に、勧誘活動の呼びかけをさせていただきました。そして3間でのべ20名の現役OBOGが参加し、957枚のビラを配り終えました。

 新入生だけでなく、在学生も含めいろんな方に見てもらえたらと思います。

 お忙しいなか、日射しも強く花粉も舞うなか参加してくださった皆様、写真付きの新しいビラを作ってくれたNくんとTさん、本当にありがとうございました。一人でも多くの方から連絡が来ることを心待ちにしています!



4月1日(日)入学式:商学部・政治経済学部・法学部・社会科学部

           参加:8名     配布数:226枚

  2日(月)入学式:国際教養学部・文化構想学部・文学部・人間科学部

           参加:8名     配布数:451枚        

  3日(火)入学式:教育学部・基幹理工学部・創造理工学部・先進理工学部

           参加:4名     配布数:280枚


 


         


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3.おニートちゃんのつぶやき  晴れて卒業編


 2010年6月発行のゆうゆう70号と、その翌春発行の74号に「おニートちゃんの

つぶやき」と題した記事を掲載しました。今回は、その最終回をお届けします!

 2008年からケアスタッフの活動を始めた笹田くんは、妹さんから「おニートさん」

と呼ばれた2度の浪人生活(ロースクール受験と司法試験)を経て、昨秋、見事司法試験

に合格しました。現在は司法修習の真っ只中ですが、修習前に書いてくれた寄稿文をみな

さんにご紹介したいと思います。

 では、「おニートちゃんのつぶやき」最終回をどうぞ〜。



 この度司法修習のため、9年間お世話になったケアセンターを離れることとなりましたので、最後にご挨拶をさせていただきます。

 私は2008年、大学3年生の時にケアセンターでの活動を開始し、名古屋の大学院へ進学するため3年間東京を離れた期間を除いてケアに携わってきました。初めはAさんの入浴介助とBちゃんの移動支援に、のちにはBちゃんのおばあちゃんのケアやCさんのケアにも入れて頂きました。

 ケアセンターで関わってきた方々の顔ぶれがあまり変わらないので、あまり月日の経過を意識してこなかったのですが、9年間というと、私がケアに入った当時小学生だった子供が大学生になっていることになりますから、改めて考えるととても長い期間お世話になったのだなと実感しています。私自身、正直これほど長い期間ケアセンターにお世話になるとは思っていませんでした。また、31歳になるまでフリーターをすることになるとは思ってもいませんでした。20年前の予定では31歳にはジャイアンツで3億円を稼いで女子アナと結婚しているはずでしたので、なかなか計画通りには行かないものだなあと人生の厳しさを感じています。

     


 しかし、計画通りいかなかったおかげでケアセンターの利用者の皆様、職員の皆様と長く関わることができました。そして、このケアセンターでの人間関係なしに、私が司法試験に合格することもなかったと思っています。

 ケアセンターの関係者の皆様には本当にお世話になりました。Aさんにはケアのイロハを、時には厳しく、また時にはより厳しく、厳しい中にも厳しさをもって、叩き込んで頂きました。ケアの中でAさんには色々なお話を聞かせて頂きました。8割は為にならない話でしたが、時々される為になる話は今でも覚えており、Aさんにはケアの大事な基本を教えて頂いたと思っております。また、Aさんにはご夫婦でお世話になり、ロースクール進学の際と司法試験合格の際は奥様もとても喜んで下さりお祝いを頂いたこと、心から嬉しく思っております。

 Bちゃんのケアは帰ってきてから再度担当させて頂きましたので、6年間のお付き合いとなりました。初めて会ったときまだBちゃんは高校生だったことを思うとお互い、いいおじさんになったなあとしみじみ感じます。Bちゃんのケアは比較的短い時間でしたが、Bちゃんと顔を合わせられる時間は私にとってホッとする大切な時間でした。また、Bちゃんのおばあちゃん、お母さんとお話する時間はとても楽しく、日々の受験勉強の息抜きになっていました。ご家族からお祝いに頂いた風呂敷は法廷に持っていきますね!

 Cさん、Dさん、Eさん、Fさんの職員の皆様、長きに渡り本当にお世話になりました。長い受験生活、皆様の応援がなければ精神的に持たなかったと思います。学部生時代から今日に至るまで応援し続けてくださった皆様のおかげで今ようやくスタートラインに着くことができました。心からお礼を申し上げます。

 小学生のころの予想とは大分変わってしまいましたが、ケアセンターではそのころ予想もしなかった素晴らしい出会いがありました。ケアセンターで出会った全ての方に支えられ、今の私があると思っています。支えて頂いた皆様を今度は私が支えることができるよう、一層努力して参ります。またお会いできる日を心から楽しみにしています。

                                  笹田 典宏(2017年11月)


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