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ゆうゆう120号

2020年 11月 18日発行

1.飯田橋駅・リニューアル

2.助成していただきました! 〜空気浄化機能付きエアコン〜

3.第16回コロナ・ミニミニ新宿ライフケアセンター運動会


日ごろな一枚

          

新たに事務所にやってきた電動自転車。コロナ対策の一環です。色はカーキ!

なかなかカッコ良いので、寒空の下でも気分良く走れそうで





1.飯田橋駅・リニューアル

 去る6月、飯田橋駅のホームの移設工事が完了、新宿寄りに200メートルほど移動し、翌7月12日から新西口駅舎と併せて供用が開始されました。旧ホームは外濠のカーブに沿った形状で、かつて詩人で小説家の原民喜に「飯田橋のプラットホームは何と云ふ快い彎曲なのだらう」と称えられたものですが、電車とホームの間に最大で約33センチメートルもの隙間、加えて急勾配により最大約20センチメートルもの段差が生じ、これは車いす利用者はもちろん誰にとっても危険な環境。張り紙や回転灯等注意喚起の試みにも関わらず、毎年転落事故が絶えませんでした。移設工事は実に発表から4年がかりの大事業で、最後は東京五輪に間に合わせる為にこの時期の完成となったようです(無念にも延期してしまいましたが。)現在の新ホームでは、隙間は最大で15センチメートルまで狭められ、さらに軌道とホームの勾配を低下させる工事により段差も縮小させることができました。こうして飯田橋駅が使いやすくなったわけですが、そもそもどうしてそんな危ない場所にホームがあったのでしょうか? それを考えるにはちょっと長い話になります。いい機会ですし、今回は飯田橋駅の今昔について少し調べてみました。


         


 まず、飯田橋駅の誕生前夜、甲武鉄道の話から始めます。この鉄道会社は、明治の初め、玉川上水を利用しての舟運が水質汚染を理由に中止となった代わりとして新宿から多摩地方へと馬車鉄道を通そうとした企画を起源とします。その後やがては甲斐国(山梨)まで線路を敷きたいと計画し、甲武(武は武蔵国、東京)と社名に付けたのです。馬車鉄道とは、読んで字の如く線路の上を馬が車を引いて走るというもの。道が整っている分乗り心地がよく、速く多く運べるというメリットがあり、昭和の中頃まで全国で利用されていました。一方でやはり蒸気機関車には劣る・飼育の経費・走行中に撒かれる糞尿により沿線の住民から不評を買うという短所を抱えていたが為に、汽車や電車に取って代わられてしまったのです。甲武鉄道は費用の面から馬車鉄道で行く予定でした。しかし、発起人間の意見の対立により分裂し、同じような路線で蒸気鉄道を標榜するライバル会社・武甲鉄道が出現。甲武鉄道も対抗する為に蒸気に切り替え、その後も甲武・武甲の合体や、株主間での内紛、株価暴落からの買収劇等々紆余曲折ありながらも、明治22年(1889年)、新宿〜八王子間(現中央本線の一部)に開通しました。その次に甲武鉄道が乗り出したのが、都心へと伸びる市街線です。多摩地方の人々を新宿からさらに運んでもう一儲けしようと見越したわけです。


                     

飯田町駅跡

再開発により、現在はアイガーデンエアというエリアになっている

敷地内には、貨物駅があった記念としてレールが埋め込まれている(レールは甲武鉄道当時のものだそう)



 ここでようやく飯田橋駅が近づいてきます。新宿から御茶ノ水をつないだこの路線に初め飯田橋駅の名前はありません。前頁の図は明治29年(1896年)に出版されたもので南北が逆転していてわかりづらいですが、外濠のカーブの前後、飯田橋駅のできる辺りを挟んだ二駅、牛込と飯田町という名が見えます。この二つが合体したのが飯田橋駅なのです。牛込駅は牛込見附橋から新宿寄り辺り、上りホームは外濠の堤際にありました。飯田町駅は旅客・貨物ターミナル駅として本社・機関庫・客車庫等を備えて今の千代田区飯田橋3丁目辺りに広い土地を抱え、川寄りの場所に駅舎がありました。この二駅が統合されたのは昭和3年(1928年)のこと。この5年前に関東大震災があり、人々は都心から郊外へ転居、一気に中央線(この頃すでに鉄道は国有化され甲武鉄道は買収されました)のニーズが上昇、電車化が進み、速さの違う汽車と線路を分ける為に御茶ノ水〜中野間の複々線化(線路を四本にすること)の計画が進められました。その際、牛込は千代田区側の下りホームが線路増設の邪魔になるからと廃止。飯田町は前述の都民の郊外移住により始発駅としての意味が薄まり、更に電車ホームが線路増設の邪魔になるからと電車は通過扱いとなることが決定、貨物駅専門に。ここで少し脇道に反れますと、中央線の貨物輸送では山梨から少しはブドウも運んでいたそうですが、甲武鉄道開業からしばらくの間メインは多摩川や相模川から運ばれる建築資材としての砂利でした。飯田町駅は川沿いにあることもあり大量の砂利を受け入れて水運で輸送することができたのです。特に関東大震災後は復興需要が高まって輸送量が急増し、これも複々線化の一因となる程でした。その後昭和の後半に川への悪影響の為砂利の採取が禁止となりましたが、一方で当時飯田橋近隣には印刷業者・出版業者が多く、今度は紙の輸送を主として生き残り、やがてその需要も無くなり新宿駅構内再開発もあって平成11年(1999年)、飯田町駅は廃止となりました。そろそろ本筋に戻ります。それぞれ複々線化に問題を抱え、距離も近かった2駅はその為に統合され、中間辺りの場所すなわち外濠のカーブ、飯田橋の近くに新しい駅が建設されました。というわけで、飯田橋駅ホームはあれほど曲がった場所に作られたのでした。

 ……これじゃあまり答えになっていませんか。今、新ホームが200メートル西進したことでホームの位置はかつての牛込駅周辺になったのですが、最初からその辺りに作っておけばあんなに隙間が空いたりしなかったのでは? 当然の疑問です。本やネットの記事を読んだところ色々な説が得られました。例えば、@牛込・飯田町両駅の利用者の利便性を考えれば中間の位置にある必要があった。長い通路を通ることになりましたが旧西口駅舎は牛込見附橋の前にありました。Aそもそも当時の電車・汽車は車両が今より小さかった、またそう何両も連なるものでもなかったから、隙間や段差は問題として捉えられなかった。B震災後復興事業として飯田橋駅周辺が整備されたから等々……。はっきりした答えは無いですが、恐らくはそう言ったところでしょう。


                 

牛込駅跡

駅舎があった場所に、現在は薬局とピザ屋が建っている

店舗脇の石垣は、当時の駅舎のもの



 こうして飯田橋駅の歴史を俯瞰してきまし

たが、現在でも牛込駅の入り口の石垣や、飯田町駅の碑等が残されています。せっかく駅が使いやすくなったのですし、この機会に散歩など行ってみてはいかがでしょうか?             (今井 徹)



図:新宿飯田町間平面図(菅原恒覧『甲武鉄道市街線紀要』、25コマ、国立国会図書館デジタルコレクション)

  https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/805187




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2.助成していただきました! 〜空気浄化機能付きエアコン〜

 この度、株式会社日本財託様の助成事業により空気浄化機能付きエアコンを購入、事務所内に整備させていただきました。従来使用していたエアコンは昨年以来不調で今年の夏は散々でしたが、これでもう大丈夫です。今回導入した機種では最新の空気浄化機能「プラズマクラスター」を搭載し、カビや雑菌などを除菌してきれいな空気を維持することができます。皆様も暑いのも寒いのも気にせず、どうぞ安心して事務所にお越しください。助成していただいた株式会社日本財託様に厚く御礼申し上げます。


   



 車いす利用者のAさんから、「ガス湯沸器を新しくしたら、操作ボタンに手が届かなくなってしまった」という声が工房に寄せられた。

 これまで使っていた湯沸器にはホースの先端にも操作ボタンが付いていたため、車いすからでも手元で簡単に出湯・停止が出来ていた。しかしすでに製造中止となっており、今回は取り付けられなかったとのこと。新しい湯沸器の操作ボタンは、腕を目一杯伸ばしても届くか届かないかの距離。さらに水温の切り替えについても、操作ボタンのつまみが少し固いためAさんの力では回せなかった。そこで、車いすからでも無理なく操作ボタンが押せ、且つ水とお湯の切り替えも簡単にできるよう、工房で工夫することとなった。

 毎日使うものなので、まずは応急処置としてリーチャー(操作ボタンを押すための棒)を製作し、操作ボタンを押せるよう対策を講じた。しかしリーチャーを使って操作ボタンを押す動作は、腕の力や握力の弱いAさんにとっては少なからず負担がある。そのため、用具を持たなくても簡単に押すことができるよう、車いすから手を伸ばした位置まで操作ボタンを延長することにした。

 ガス湯沸器は、Aさんや家族、介助者など、日々様々な人が繰り返し使用するため、耐久性が求められる。使用する材料や作りについて検討を重ね、試作を繰り返しながらの製作活動となった。延長した操作ボタンの先端には棒を取り付け、てこの原理で軽い力でも水とお湯の切り替えができるよう工夫した。



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3.第16回コロナ・ミニミニ新宿ライフケアセンター運動会


11月23日(祝・月)13:30〜15:30 戸山サンライズ体育館


 コロナ禍の中、開催すべきか否か色々迷った結果、コロナ・ミニミニ運動会を行うことにしました。規模は例年の半分以下に、競技内容も互いの接触を減らしたものに変更します。各種感染予防の物品を用意し、十分換気を行いながらの運動会です。

 様々な制約の下での開催となりますので、まずはお問い合わせください。


 ※コロナの感染状況によっては、中止の場合があります。



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